なぁちゃんLOVEのパワプロブログ

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スレッジ (日ハム)【パワプロ2020】

ターメル・スレッジ(1977年3月18日〜)

ジョン・F・ケネディ高等学校→カリフォルニア州大学ロングビーチ校→モントリオール・エクスポズワシントン・ナショナルズ(2004〜2005)→サンディエゴ・パドレス(2006〜2007)→北海道日本ハムファイターズ(2008〜2009)→横浜ベイスターズ(2010〜2011)→北海道日本ハムファイターズ(2012)

2009年成績.266 27本塁打 88打点

スレッジハンマー

ここ一番の勝負強さが光る助っ人。2009年は「5番・指名打者」に定着し、打率.266で共にチームトップとなる27本塁打、88打点を記録した。

 

同年のクライマックスシリーズ第2ステージの第1戦、4-8と楽天4点リードで迎えた9回裏、1点を返し3点差の1死満塁で打席に立つと、福盛和男から 「3点差逆転サヨナラ満塁ホームラン」を放った。(これは福盛の21球として語り継がれている。)

4戦目には岩隈久志から3ランホームランを放ち、日本シリーズ進出を決めるなど2本塁打10打点の大活躍。クライマックスシリーズMVPに輝いた。

 

しかし、年俸アップと複数年契約を要求する代理人側と、当時2年目の中田翔を育成するため、半レギュラーでの起用、現状維持の年俸、単年契約を提示する球団側と折り合いがつかず、12月1日に自由契約

その後ソフトバンク、西武らとの競合の末、横浜ベイスターズが年俸1億8000万円の2年契約で獲得。

 

その後2年連続20本塁打を記録するが、球団がアレックス・ラミレスを獲得したこともあり、退団。

 

2012年は日ハムに復帰。レフトは中田翔、ファーストは稲葉篤紀が定着していたため、DHでの出場となった。しかし、6月1日に左膝の検査を受けるため一時帰国。6月30日に左大腿骨滑車溝に重度の軟骨損傷と遊離軟骨があると診断され、リハビリが進まず、復帰できないままシーズンを終えた。11月5日に退団が決定した。

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【査定について】

ミートはDに乗せました。似合わないけど...

【筆者の一言】

日ハム時代の応援歌もいいよね。

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